「東京二期会」24年度総会
同期の仲間全員が傘寿となったのを記念して、24年11月26日(月)夕、墨田区錦糸町の東武ホテル・レバント東京で定例の総会を開きました。
今回は5月に開業した「東京スカイツリー」の見学を企画したところ、関東以外からも、北海道・盛岡・京阪神・中京・伊勢方面と、全国から紳士26人と淑女18人の合計44人の多数が参加しました。夕食・懇談と3時間余に及んだ会の目玉は、名曲「落葉松」の作曲者、小林秀雄君のピアノ伴奏で、懐かしい歌の数々を一緒に歌ったこと。十代に若返った気分で大いに盛り上がりました。
翌27日(火)午前8時から、先ずは東京スカイツリーの見学。前日の雨はどこへやら、快晴に恵まれて、東は筑波山・西は富士山まで、400㍍の高所からの絶景を堪能しました。その後は、銀杏並木の黄葉が真っ盛りの東大本郷キャンパスを訪れ、三四郎池を眺めて安田講堂地下の学生食堂で昼食、赤門前で記念撮影。次いで日銀貨幣博物館及び本店を見学、2月に開通した東京ゲートブリッジ(長さ2618㍍、高さ87・8㍍)を渡って、10月に完成したばかりの東京駅・新丸の内駅舎を見学して午後5時に解散しました。バス・ツアーの添乗員が大変なベテランで、都内のどこを走っても詳しく説明してくれたのも幸いでした。スカイツリー・ゲートブリッジ・丸の内の新駅舎は、今や〝東京・新3名所〟だそうです。
「東京二期会」は、昭和19年4月、旧制宇治山田中学校と宇治山田高等女学校に入学した同期の仲間で、1972年に第1回の会合を開いて以来、昨年で満40年。1980年からは毎年開催して今回が39回目。参加延べ人数はざっと1200~1300人。山高の数多い同期会の中でも、断トツの回数と参加人数を誇っています。
私たちの学年は、終戦直後の学制改革のいわば被害者です。昭和23年4月に山中と山女が合併して新制高校がスタートし、仲間の大部分は山高の2年に移行しましたが、翌24年には、旧制の山中と山女の卒業証書を貰って卒業した者、新設の鳥羽高校・明野高校・松阪高校へ移った者、引き続き山高で3年に進級した者など、環境が1年ごとに目まぐるしく変わり、落ち着いて勉強する雰囲気にはほど遠い状況でした。
ところが不思議なことに、こんなバラバラの学生生活を送ったにも拘らず、仲間の結束は極めて固いものがあります。11年前の山高創立100周年・記念事業の募金活動に際しては、寄付者の人数で私たちの期が、全学年でNO1(金額ではNO3)でしたし、東京二期会には、山高2期の卒業生だけでなく、山中・山女を中退あるいは卒業した者、山高以外の卒業生などが、学校の枠にとらわれず毎年楽しく集まっています。〝戦後の混乱期に辛い経験を同じくした仲間である〟との意識が、80歳を超えた今日まで持続しているのだろうと思っています。
今年も11月28・29日(予定)に、湯河原温泉で一泊しての例会を計画しています。多数の仲間の参加を待っています。(山中50期・齋藤裕)
※ この記事は本来6月8日発行の『山高同窓会会報』に掲載されるべきものでしたが、会報印刷業者と同窓会事務局の不手際により今年度の会報に不掲載となってしまいました。齋藤裕様をはじめ二期会の皆様にはご迷惑をおかけしたことを心からお詫び申し上げます。